これまでの人生をざっくり話してみる

この記事は2020年に書いたため、現在とは状況が異なる記述が含まれます。過去の時点での気持ちであることをご留意ください。

こんにちは! 「志木しのぐ」改め「しのぐ」です。
最近、stand.fmという音声配信アプリで色んなラジオを聞きはじめました。
誰でも配信できるみたいで面白そうだなーと思ったので、自分でも配信してみました。

こちらが初めての配信です。無料でどなたでも聞くことができます。

これまでの人生をざっくり話してみる【ADHD、絵や漫画を描く】 - しのぐ物語 | stand.fm
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以下は初めての収録のために書いて読んだ台本を
そのまま記事にしたものです。
自己紹介、人生の振り返り、今やりたいことなどを話しました。

はじめましてのご挨拶

こんにちは、はじめまして。
聞いてくださってありがとうございます!

私は「しのぐ」と申します。
今は分かりやすい肩書とかがないので
「何者でもない者」と自分を呼んでます。
大人になってからADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されました。

好きなことは
絵を描くこと、
物語を考えること、
歌を歌うこと
朗読すること
などです。

興味のあることは、
生き物、
漫画、
アニメ、
ゲーム、
英語学習
とかですね。

他にも好きなことや興味のあることはいっぱいありますが
それは今後の配信でゆっくり話していけたらいいなと思います。

「何者でもない者」だけだと
どんな人かよく分からないと思うので、
これまでの人生を振り返って話してみますね。
上手にまとめられなくてちょっと長くなります。
適度に聞き流してくださいませ。

子ども~大学時代を振り返り

まず、子ども時代は外で遊ぶのが好きでした。
絵を描いたりマンガを読んだりするのも好きでした。
ただ、学校ではすごく忘れ物や遅刻が多かったです。
夏休みの宿題も全く計画通りに進まないタイプで、
毎年8月の終わりには泣いていました。

中学ではテニス部だったんですが
運動神経は悪かったです。
高校では吹奏楽部でトロンボーンを吹いてましたが
楽譜が読めなくて一番下手でした。
遅刻も相変わらずものすごく多かったけど
良い先生や友達に恵まれて全体的に楽しく過ごしていました。

大学では楽しいこともいっぱいあったのですが、
同時に生活の崩壊もはじまりました。
履修登録を忘れて希望する授業がとれなくなるとか、
昼夜逆転で授業に出られないとか、
課題を何もやってこないとか、
毎日めちゃくちゃでした。
自分で自分をコントロールできなかったです。
単位を落として留年しました。
母といくつか病院に行って
「概日リズム睡眠障害」や
「自律神経失調症」
などの診断を受けて通院していましたが、
なかなか改善できず、最終的に大学は中退しました。
親や友達や先生や良くしてくれた方々に本当に申し訳なくて
「しにたい」と思ったこともある時期でした。

でもアニメにすごくハマったり
「漫画を描いてみたい」と思ったりして
なんやかんや楽しいこともあったので、生きてました。
家族が私を責めたり放り出したりせずに
普通に接してくれたのもすごくありがたかったです。

無職だったりバイトしたり介護したり

そこからは無職だったりバイトをしたりしてました。
祖母が怪我をしてから、少し介護を手伝ったりもしました。
私は小さい頃は一緒に寝てたくらいおばあちゃん子でした。
介護が必要になってから、祖母は認知症の傾向がありました。
ときどき意思疎通がうまくいかなくて、
カッとなって言い合いになって
祖母を泣かせてしまうこともありました。
いつも優しく接することができたら良かったのですが、
あの頃は自分の気持ちも不安定でよく泣きました。
でも、ときどき祖母と分かり合えるときもあって、
私がパジャマを着せてあげただけで
「嬉しい、嬉しい」と祖母が泣いて喜ぶこともありました。
祖母が亡くなった朝は、まだ肩にぬくもりがあって、泣きました。
花の絵を描くのが上手な人でした。大好きでした。

バイトでは、毎日毎日ミスをいっぱいして
「自分はなんてダメな人間なんだろう」と
何度も思いました。
働くこと自体は好きだったけど、
やることがたくさんあるとすぐ訳が分からなくなって
色んな人に迷惑をかけてばかりで申し訳なかったです。

自分がADHDであることに気づく

ある日、バイト先からぐったりして帰る電車の中で
スマホをいじってたら、
「大人のためのADHD.co.jp」って広告を見つけました。
そこから見つけたサイトで
「注意欠陥多動性障害」について知って
症状がすごく自分に当てはまるなーと気づきました。

注意欠陥多動性障害は、脳の機能に何らかの問題があって
「不注意」や「多動性・衝動性」の症状がでる発達障害です。
「不注意」というのは、
集中力の調節ができなくて、すぐ気が散ってミスをしたり、
逆に集中しすぎて周りが見えなくなったり、
頻繁に忘れ物や遅刻をしたり、
やる気を保ち続けるのが難しくて
計画通りに行動できなかったりする傾向のことです。
「多動性・衝動性」というのは、
じっとしているのが難しくて動き回ったり、
思わず誰かの話に割り込んだり、
自分の言いたいことをまくし立ててしまったり、
後先考えずにすぐ行動してしまったりする傾向のことです。
(私はお医者さんじゃないので、くわしくは専門家からの情報を調べてみてくださいね。)

この「注意欠陥多動性障害」をあらわす英語の
「Attention-deficit hyperactivity disorder」を略したのが「ADHD」です。
子どもの頃から症状は出るみたいですが、
それが発達障害だと気づかれないまま大人になる人も多いそうです。
子どもの頃は「だらしない」とか「怠け者」なだけと思われていて、
大人になってから大学生や社会人になったときに、
症状によって学業や仕事に支障が出てきて、
実は発達障害だったと気づくというパターンが多いみたいですね。
私も思い返してみると、子どもの頃からの色んな苦労は
このADHDという障害が原因の一つだったのかなと気づきました。
けっこう衝撃でした。でも「そうだったのか」と納得して、少し安心しました。

それからはADHDのことをネットで調べまくりました。
現状では、症状を緩和させるお薬はあるけれど、
完全に正常な人と同じになるように根本的に治せるものではないようです。
ただし、自分の脳の特性を理解して、
行動を工夫したり、環境を調整したりすることで
生きるのが今よりも楽になるように
少しずつ症状に対処して生活を改善していくことはできるようです。
私は改善するための工夫も調べまくって、
片っ端から参考にして試しました。
生活リズムがめちゃくちゃだったのは、
情報を参考にタスク管理を始めてからだいぶ改善しました。
今はHabiticaという
ロールプレイングゲームっぽいタスク管理アプリを使ってます。
毎日やる日課をタスクとして登録して、
達成するとコインのごほうびがもらえます。
達成できないとキャラクターがダメージを食らいます。
ほどほどに楽しくて毎日タスクのチェックを続けています。

去年、精神科に行って検査を受けて、
やはりADHDであろうと診断されました。
お薬は残念ながら睡眠のリズムが狂って自分にはあまり合わなかったです。
でも、検査を受けたことは自分の中ではすごく良かったです。
検査を受けるときに、私は自分のことを口だけで説明できる自信がなかったので、
自分の子どもの頃から現在までの症状や経歴を自分でレポートに書いて印刷して、
お医者さんや心理士さんにそれを渡してから話しました。

診断結果を頂いた後は、そのレポートを家族にも見せて話しました。
誰かに自分のことをこんなに説明したのは初めてでした。
家族全員がレポートを読んで、
「なるほどね」と受け入れてくれて、心がホッと楽になりました。
周りの人が話を聞いてくれて、
自分の特性を理解してくれただけで、
こんなに気持ちが軽くなるんだと、本当にありがたく思いました。
お互いのことが分かると、より安心して会話ができます。
私も家族を大切にしたいです。

レポートを書いたことで自分の心の中も整理できてスッキリしました。
検査の結果から自分が得意なことや苦手なことが分かったのもありがたかったです。
私は言葉や概念を理解して整理する力はあるものの、
人よりも考えたり表現したりするのに時間がかかるタイプだそうです。

絵や漫画を描くことをお仕事に? 個人事業主になる

お話は前後しますが、私は絵や漫画を描くことを
お仕事にできないかなと思って、一昨年頃から個人事業主になりました。
といっても「絵や漫画をなかなか完成させることができない」タイプで、
完成作品はものすごく少ないです。
意識して練習を始めたのも20代からで、スピードも技術もありません。
だけど見切り発車で活動を始めました。
最近までは「志木しのぐ」というペンネームでした。
いくつか真剣に絵を描いて、コンテストに出してみました。
ほとんどは落選しましたが、1つだけ、
近畿大学の体育会クラブのキャラクターコンテストで最優秀賞を受賞して、
キャラクターのデザインが採用されました。とても嬉しかったです。
今はKINDAI BIG BLUEという名前で着ぐるみになったりしてるみたいです。

その後、身内や知り合いからぽつぽつ依頼を頂いて、
イラストやデザインを制作しました。喜んでもらえると幸せでした。

依頼を引き受けるスタイルは向いてないと気づく

しかし、依頼を受けて制作するというスタイルが
どうしても自分に向いていないと気づいたので、
今現在は依頼を引き受けるのをやめています。
〆切がある、メールや電話による指示で生活リズムが左右される、
たまにイレギュラーが発生して修正が必要になるなど、
相手に合わせるとペースがどうしても乱されてしまって
激しいストレスを感じることが多かったからです。
それから、思い返してみれば、自分が絵や漫画を描きたかったのは
「自分の心の中でイメージしたものを表現したかったから」
だったと思い出したからでもあります。

手段は何でもいいから、
私は私の中につまっているものを
精一杯、表現したいです。

そして、現在は…… やりたいことを全部やってみる

何をどうやって表現するか
どのような手段で稼ぐのか
何のために生きるか
などを考えながら少しずつ色んなことを試してる状態です。
今は「絵や漫画を描いて食べていく」ことに強いこだわりはなくて、
自分を表現しながらストレスを少なく生きることを重視しています。
収入を得る手段も、自分の性質に合っていて、心からやりたいことで、
誰かのためになることなら何でもいいです。
やりたいことをとりあえず全部やってみて、
自分自身を最大限に活かせるものを動きながら探そうと思っています。

例えば、最近は頼まれたものをネットオークションに出品していて、
在庫管理して説明文を書いて宣伝して発送するのはけっこう楽しいと思いました。
それから、ゲームやアプリを制作するのも面白そうだなと思っています。
初心者なので複雑で規模の大きいものは難しいと思いますが、
ちょっとしたゲームやアプリをつくれたら楽しそうだと思って
7月頃にはUnityというゲームエンジンのチュートリアルをやりました。
ただ、私はゲームに依存してやりすぎてしまう傾向があるので
依存しにくいもの、または依存を改善するものをつくれないかと考え中です。
最近はYouTubeにも絵をつけた朗読の動画を一つ投稿しました。
そして、今日はこのstand.fmの配信をやってみました。

私は今けっこう幸せです。
もちろん落ち込むこともあるけど、
それ以上に生きるのが楽しいです。
失敗しても成功しても
「人生いろいろあるから面白いね」って
思えるようになったからかもしれません。

今は実家暮らしで節約しながら
なんとか生きてるって感じです。
洋服も下着以外は何年も買ってないので
ごくごくたまに友達に会うと
「その服ずっと着てるねー」って言われます。
「まだ着れるし!」って返して一緒に笑います。
友達と遊ぶのも年に数回あるかないかですね。
今年はコロナ渦もあって
今のところ家族と親戚以外にはほぼ会ってないです。
元気でいてくれたら、それで十分です。

「何者かになりたい」とは思わないので
たぶんずっと「何者でもない者」です。
私は私以外になれないし、私以外の誰かは私にはなれません。
「何かになる」んじゃなくて、
「何かをやる」んだよーって感じです。
命のある内は、やりたいことをやってみます。
見守ってくれる人たちには「ありがとう」って伝えます。

stand.fmはじめました、ドキドキしてます

私はまだstand.fmを始めたばかりです。
いくつか収録を聞いてみたり
LIVE配信をのぞかせてもらったりしました。
良い声で歌ってらっしゃる方とか
何かを分かりやすく説明してくださる方とか
すごい方がいっぱいいますね。
先日はLIVE配信で初めてコメントを送ってみたら、
声で丁寧なお返事を頂いてとても嬉しかったです。

私は滑舌がよくないし、よく噛むし、
話してると何を言いたいか分からなくなっちゃうことが多いので
きちんと話せる方たちを尊敬します。
皆さんはどうでしょうか?
私は今も緊張でドキドキしてます。
でも、上手に話せるようになるには
まず何事も挑戦してみないと始まらないので、
今回はちょっとがんばってみました。

次回以降はどんなことをするかまだ決めてないのですが、
歌をうたったり、物語を朗読したり、何かお話したり、
自分がそのとき「やりたい!」と思ったことを
ゆっくり試していこうかなと考えてます。

もし私の新しい配信も聞いてみたいという方は
チャンネルをフォローしていただけると嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。

しのぐ物語 | stand.fm
...

一応、今はレターを募集してます。
気になることや話してほしいお題があれば送ってみてください。
何か思いついたら話してみます。
何も思いつかなかったり
全然別のことを思いついちゃったりしたらごめんなさい。
マイペースにやっていくので、
のんびりお待ちくださいませ。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。
最後まで聞いてくださる方がいたら、本当に嬉しいです。

しのぐ
しのぐ

それでは皆さんどうぞお元気で。ありがとうございました!

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